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開館時間

AM9:00~PM5:00
(入館受付PM4:30まで)

休館日

12月29日から1月3日まで

観覧料(個人)

一般360円、
小・中・高校生200円

観覧料(団体)10人以上

一般260円、
小・中・高校生100円

長崎市遠藤周作文学館

〒851-2327
長崎県長崎市東出津町77番地


TEL:0959-37-6011
FAX:0959-25-1443

email:endoshusaku_seitan100

@city.nagasaki.lg.jp

遠藤周作年譜

遠藤周作年譜

西暦 年号 年齢 年譜
1923年 大正12年 誕生 3月27日、東京市巣鴨(現東京都豊島区)で、父・常久、母・郁(郁子)の次男として生まれる。
1929年 昭和4年 6歳 大連市大広場小学校に入学。
成績はほとんど乙であったが、作文の才能はすばらしく、初めて作った詩や作文「どじょう」が大連新聞に掲載された(1932年)。
1933年 昭和8年 10歳 両親が離婚し、母に連れられて日本に帰国。神戸市六甲小学校に転校する。
1935年 昭和10年 12歳 兄・正介とともに、カトリック夙川(しゅくがわ)教会(西宮市)で受洗。
洗礼名ポール(パウロ)。
1943年 昭和18年 20歳 旧制灘中学校卒業後、3年間の浪人生活を経て、慶応義塾大学文学部予科に入学するが、医学部に合格したと思っていた父親が激怒、勘当され、カトリック哲学者 吉満義彦が舎監を務めるカトリック学生寮(信濃町)に入る。
1945年 昭和20年 22歳 昭和16年に合格した上智大学予科(翌年退学)ではドイツ語専攻だったが、佐藤朔の著書と出会い、フランス文学を志し、仏文科に進学。
また、前年肋膜炎を患ったため徴兵には召集されなかった。
1947年 昭和22年 24歳 初めて書いたエッセイ「神々と神と」が認められ、「四季」(角川書店発行)に掲載される。
1950年 昭和25年 27歳 終戦後、最初の留学生としてフランス・リヨン大学大学院に入学。
1953年 昭和28年 30歳 体調を崩し、帰国。帰国後、処女エッセイ集『フランスの大学生』を早川書房より出版。
1955年 昭和30年 32歳 7月、「白い人」により芥川賞を受賞。9月、慶応義塾大学の後輩にあたる順子さんと結婚。
1957年 昭和32年 34歳 「海と毒薬」を「文学界」に発表。新潮社文学賞、毎日出版文化賞を受賞するなど高い評価を受け、文壇的地位を確立する。
1959年 昭和34年 36歳 最初のキリシタン小説「最後の殉教者」を発表。
1961年 昭和36年 38歳 前年に再発した結核のため、三度の肺の手術を受ける。
1963年 昭和38年 40歳 闘病生活から再起し、長編「わたしが・棄てた・女」を「主婦の友」に連載。
「午後のおしゃべり」を「芸術生活」に連載し、このエッセイを「狐狸庵閑話(こりあんかんわ)」と命名する。
1966年 昭和41年 43歳 書下ろし長編『沈黙』を刊行。同作品で谷崎潤一郎賞受賞。
1970年 昭和45年 47歳 ローマ法王庁よりシルベストリ勲章(騎士勲章)を受ける。
1973年 昭和48年 50歳 『死海のほとり』、『イエスの生涯』を新潮社より刊行。
1975年 昭和50年 52歳 『遠藤周作文学全集』(全11巻)が新潮社より刊行される。
1977年 昭和52年 54歳 芥川賞の選考委員となる。
1978年 昭和53年 55歳 『キリストの誕生』を新潮社より刊行。
1979年 昭和54年 56歳 前年刊行した『キリストの誕生』で読売文学賞評論・伝記賞受賞。日本芸術院賞受賞。
1980年 昭和55年 57歳 『侍』を新潮社より刊行。同作品で野間文芸賞受賞。
1985年 昭和60年 62歳 日本ペンクラブ第十代会長に就任(~平成元年まで)。
この年、サンタクララ大学(アメリカ・カリフォルニア州)から名誉博士号を受ける。
1987年 昭和62年 64歳 『沈黙』の舞台、長崎県西彼杵郡外海町(現長崎市西出津町)に「沈黙の碑」完成。
1991年 平成3年 68歳 ジョン・キャロル大学(アメリカ・オハイオ州)並びに輔仁大学(台湾)から名誉博士号を受ける。
1993年 平成5年 70歳 腎臓病のため入院。入退院を繰り返す闘病生活が続く。遠藤文学の集大成といえる『深い河』を講談社から刊行。
1994年 平成6年 71歳 最後の歴史小説「女」を朝日新聞に連載。この年、『深い河』で毎日芸術賞受賞。
1995年 平成7年 72歳 文化勲章受賞。
1996年 平成8年 73歳 9月29日死去。