元禄4年(1691)9月、土神の石殿を建立したいという唐船の船頭たちの願いが許され創立されました。 天明4年(1784)の火事で焼失しましたが、唐三か寺により復旧されました。その後も数度にわたり華僑たちによって改修、保存に努めてきましたが昭和25年(1950)に 老朽解体され、石殿だけが残っていました。 現在の建物は昭和52年(1977)に長崎市が復元工事を行ったものです。
瓢箪池の奥の石の刻字で「元文2年(1737)…」に建立されたと思われています。 天明4年(1784)に焼失し、天明7年(1787)に再建されました。その後何度かの改修の後、大正6年(1917)当地在住の中国商人により改築されました。 本堂には観世音菩薩と関帝が安置されています。また、基壇には「合端合せ」の技法が見られ、沖縄的な要素もうかがえます。入口のアーチ型の石門は唐人屋敷時代のものと言われています。
元文元年(1736)に南京地方の人々が航海安全を祈願し、天后聖母をまつったのがその起源です。寛政2年(1790)修復しました。「長崎名勝図絵」によれば、門外左右の旗竿に、天后聖母の字が書かれた紅旗をあげ、風にひるがえっていました。現在の建物は明治39年(1906)全国の華僑の寄付で建てられたものです。天后堂は関帝も併祀しており、別名関帝堂とも呼ばれています。
明治元年(1868)福建省泉州出身者が八ビン会所を創設した際に同会所内に建設したものです。その後八ビン会所が福建会館と改称され、この天后堂も福建会館右側に新設されました。 ※注【ビンの漢字は門かまえに虫と書きます】